<2>
兄から手紙が来たのは、暑くなり始めた六月中旬のことだった。
手紙には、あの事件で亡くなった騎士や叔従妹たちを慰霊する催しがあるから、早々に城へ帰ってくるようにと書いてあった。
俺は常に無く、何度もその手紙を読み直した。何か違和感を感じ取ったからだった。
なぜ今になってそんなことを。
読み返すこと三度目にして同じ問い掛けを、フィガロの兄へ、心の中で問うた。
しかし、兄が慰霊祭を行う理由は、結局俺には判らず終いだった。
「良い頃合だと思ったんだよ」
兄は微笑みながらそう言った。
「あの戦争が終わってもう一年以上も経つし、あれから十三年が過ぎようとしているわけだ。そろそろそういう催しがあってもいいだろう」
「まぁ、そうかもしれないけど」
俺は煮え切らない表情で合いの手を入れた。
「なんだ、不服そうだな」
「兄貴の考えてることが良く分かんない」
その時、兄は一瞬突き放したような目をした。
―――全てが終わった今になっても、俺はあの色を忘れられない。
彼が突き放したのは俺ではなく、彼自身なのだ。
彼が俺を突き放したことなど、今までもこれからも、一度だってないのだから。
その色は、前にも一度だけ見たことがあった。
成人儀式で倒れた俺を見下ろした時の彼の目と、同じ色だった。
だから、立ち上がった。どんなに辛くともそうせずにはいられなかった。兄を孤独にしてはならない。
今回も同じだった。
「でも、ちょうど城に帰ってくるいい口実になったかな」
俺は、陽気に笑った。
「そう言うと思った」
兄も朗らかに笑った。
フィガロへ舞い戻ってから五日後、件の慰霊祭が執り行われた。
それほど大きな儀式ではなかった。歴史的にもモンスターの襲撃で兵士が命を落とした例はこれだけではなかったし、特別扱いはしないのだと兄は言った。
しかし、その雰囲気にはどことなくぎこちなさがあった。犠牲者の中に王家の人間がいたことも然り、その事件の真相が人々に知られていないことも然り。
兄はいつも通り、平然と滞りなく式を取り仕切っていた。
そう、あの瞬間までは。
式典がどれだけ進んだ時だったろうか、不意にどこからか空気のざわめきを感じ取り、俺は顔を上げた。
違和感を察知した辺りを見回すと、群衆の一人と目が合った。
女だった。ごく一般的なフィガロの人間で、どこといって特徴の無い女だった。
目線は、彼女の方から外した。そして、俺も特に感慨もなく、彼女から目を離した――その隙だった。
誰かが小さな悲鳴を上げた。群衆の中から一人の影が躍り出て、祭壇に居る兄に向かって駆け出した。大臣たちが驚いて阻止に向かったが、間に合わなかった。
女だった。ごく一般的な女で、唯一つ、両手にしっかりと銀色に光るものを握り締めていた。
――ナイフだ。
そう思った瞬間、大声で兄を呼んでいた。
振り向いた兄は素晴らしい反射神経でひらりと彼女の腕を避け、利き腕を取ると床へ押し付けた。
ほんの一瞬のことだった。
***
「兄貴っ!」
真っ先に我に返ったのは、多分俺だったのだろう。
女を取り押さえている兄の元へ、一番に辿り着いた。
「怪我は」
「大丈夫だ」
俺は屈みこんで、女の指からナイフを取り上げた。
細く白い指は全く訓練されておらず、造作も無いことだった。
「なぜこんなことを……」
思わず俺はそう尋ねた。尋ねずにはおれなかった。
しかし、彼女は答えなかった。兄が徐に手を離し、頭を振った。
「無駄だ、彼女は喋らない」
俺はぎょっとしたように女の顔を覗き込み、すぐに目を逸らした。
彼女は死んでいた。
もちろん、兄が床に腕を押さえつけた程度で死ぬはずは無かった。
彼女は自分でそれを選んだのだ。
やっと辿り着いた大臣たちが後の処理を請け負ってくれたので、俺は兄と共に、自室へ戻ることになった。
妙な胸騒ぎが俺を苛ませていた。ベッドにごろりと横たわり、天井を見上げる。
そうだ、最初からおかしかったのだ。
なぜ、今になってあの――忌まわしくも哀しい事件を掘り起こしたりしたのだ?
あの、まるで悪夢としか言いようのない事件を。
幾つもの切っ先が父へ向かい、俺たちへ向かい。
誰かに腕を引っ張られて、我に返った俺が見たものは。
何人もの騎士たちが床に倒れ、その向こうで蒼い顔をしてこちらを睨んでいた叔父の目。
倒れた騎士の一人に駆け寄った従叔母。その背に銀色が煌いて。
あ、と声を出す間もなかった。
あの時の兄を、俺は二度と思い出したくはなかった。
小さなノックの音にはっとして、俺は身を起こした。
「マッシュ」
ごく囁き声で、兄は呼んだ。
慌ててドアを開けると、彼は鋭い青い目をして立っていた。
「入っていいか」
「あ、ああ。どうぞ」
兄は部屋へ入るとドアを注意深く閉め切り、開いていた窓も閉めてしまった。そして、振り向きざま驚くべき一言を投げた。
「マッシュ、城を出て行ってくれないか」
「……え?」
兄の目は真剣だった。
「今すぐに、この城を出て行って欲しい」
「どうして」
俺は少なからずうろたえた。
こんな非常時に城を出て行く気はなかったし、それを兄に請われるなどとは全く予想もしていなかったのだ。
「理由は……今は話せない」
「でも」
「頼む。この城から――フィガロから一番遠い所へ、サマサでも、モブリズでもいい、お前を匿ってくれるような所へ逃げて欲しい」
逃げる……何から。
俺は兄の目に圧されて黙ったままだった。
「もうあまり時間が無い。さっきのことで騒ぎが大きくなるまでに、お前はそれから逃れて身を隠していて欲しいんだ」
「兄貴は?」
「事の真相を確かめる」
「それなら俺も」
「駄目だ」
兄の口調はきっぱりとしていて、決して逆らえるものではなかった。
それでも、誰かが彼の命を狙っている以上は、簡単にこの城を去る気にはなれなかった。
「兄貴に何かあったら……」
「何かあるとしたら、お前が居ても居なくても同じだろうさ」
兄は肩を竦めた。
「第一、本当に俺を殺す気があるなら、手馴れのアサシンの一人や二人、雇ったはずだ。なぜか弱い女性が刺客に選ばれた?」
「それは……」
確かにそうだった。あの指では、虫も殺しそうにはなかった。
でも。
「単独犯かも」
「あの女性が?」
兄なら、恨まれるようなことの一度や二度はあったかもしれなかったが、そんなことで暗殺を企てさせるようなヘマをしそうにもなかった。
「牽制かもしれない」
「わざわざ、殺したい奴に危険を知らせてやるような親切はしないだろう」
「じゃぁ、他に理由が?」
兄はじっと俺の目を見た。
「とにかく、今は説明している時間もない。この城から遠い所へ、簡単にはここに戻れないような、小さな村でも町でも」
「兄貴!」
「俺が間違ったことを言ったことがあったか?」
「……ない」
「なら、すぐに支度をしろ」
兄はそう言い捨てると、部屋を出て行った。
出て行きしな、「チョコボは城から離れたところで待機しているから、探して乗っていくといい」と言った。
BACK NEXT Novels TOP
|