セッツァーって奴が来たら、伝えてくれる?


二時間待った、って。




2hours




<1>



 ダリルが最後に遺した伝言を受け取ったのは、あいつが死んだずっと後だった。



 スピード比べの後、あいつが必ず立ち寄っていた小さな町の小さな飲み屋。
 あいつが死んでから、顔を出すのはその時が初めてだった。
「傷だらけの顔に銀髪紫瞳。セッツァーってのは、あんただな?」
 問われ、面倒だったが顔を上げた。
「なんだ」
「ダリルちゃんから伝言。二時間待ったってさ」
 瞬間、咥えていたタバコを取り落とした。
「何だって?」
「二時間待ったって。ちゃんと伝えたからな」
「待て。いつの伝言だ」
「ん〜、二年位前かな」
 はは、と飲み屋のおやじは笑った。
「あれから来なくなっちゃったなぁ、残念。別嬪さんだったのに」
 安酒は性に合わないかねぇ。主はそう嘯きながら、グラスに酒を注いだ。
「たまには顔を出すように、言っといてくれないかい、お兄さん?」
「でもあいつは……」
 言いかけて、俺は口を閉じた。たった一言、その言葉が喉の奥に詰まった。
「よろしく頼むよ」
 おやじは笑いながら、畳み掛けるようにそう言った。



 あれからもう、長いことこの町へは来ていなかった。
 それなのに、何の因果か、探し求めていた品がこの町にあるとの噂を聞いたのだ。
 あまり気乗りしないものの、これもあの女の差し金かもしれないと、半ば諦めの心境で町へ足を踏み入れた。


 あいつが死んだあの時から、俺の時間は止まったままだ。


 俺に飛空艇を教えたのは、あの女だった。
 ただ空に憧れ、空を飛ぶ艇に憧れていただけだった俺に、あいつはそれを現実のものとして与えた。
 最初は、確か一冊の本から始まった。
 ああ、そうだった。その時から、俺の時間は動き出したんだ。



 どこかの町の街路樹の下で、俺とあいつは出会った。
 田舎町の寂れた色から明らかに浮いてしまうほど派手な格好の女は、ベンチに座って本を開いていた。
「『船のエンジン』?」
 声に出してその題名を読んだ俺を、あいつは鬱陶しそうな緑の目で見上げた。おおよそ、女が読むには似つかわしくない題名だった。
「何か用?」
 不機嫌そうな声でそう尋ね、目線は再び本の方へ落ちる。
「あんた、船を造るのか?」
「空を飛ぶ方を、ね」
 真っ赤に引いた唇の紅が、気のない声色でそう答えた。
「空?」
「そう」
 いかにも面倒くさいという素振りで、女は頷いた。
「飛空艇。空を飛ぶのよ、夢の話じゃなくてね」
 軽い衝撃だった。あんなでかい物が空を飛ぶなんて、とても信じられない。
「それ、俺にも手伝わせろよ」
「は?」
 顔を上げたあいつは、不審げに目を細めた。
「どういう意味」
「面白そうじゃん、俺も飛んでみたい」
 細めた緑色の目で、頭の天辺から爪先まで、あいつはじろじろと俺を見た。
「ふぅん」
 隅々まで磨かれたような煌びやかな女に見られていることに居心地が悪かった俺は、微かに身動ぎをした。そっちこっちの町を渡り歩いて流れ者のような生活をしている俺は、お世辞にも綺麗な格好をしているとは言えなかったから。
「それなら」
 女は、ぱたりと本を閉じると立ち上がった。
「自分で造るのね、坊や」
 そう言って、あいつは俺の腕に、今し方読んでいた本をばさりと寄越してきた。そして俺が何か言う前に、ヒールの踵をカツカツ鳴らして颯爽と去っていってしまった。

 本は、開くと微かに甘い香水の匂いがした。そして、その匂いを嗅ぐ度に、俺はあの女を思い出した。



 思えば、俺に酒を教えたのも、煙草を教えたのも、あいつだった。
 ギャンブルも、カードやダーツや、サイコロの出目の法則に至るまで――つまりはイカサマまで――全部あいつが俺に仕込んだ。
 それから――女もだ。

 俺は、うんざりして息を吐いた。煙が空へ昇っていくのを何となく目で追う。

「今日も待ちぼうけだったじゃない」
 俺が飲み屋に迎えに行く時は、いつもそれが口癖だった。
「いい女を何時間も待たせないでくれる、坊や?」
 そして、クスリと笑って立ち上がる。
 かなり呑んでいても、足元をふらつかせたりしたところは見たことがなかった。
 女丈夫。
 あれは、あいつのためにある言葉だ。









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