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「これですか?」
「いや、もう1サイズ小さいやつ」
「えーっと」
 段ボール箱をゴソゴソと漁り、ネジ屋は困ったように顔を上げた。
「ないですよ、それが一番小さいですね」
「もちっと探せって、あるはずなんだからよ」
 煙草に火を点けると、店主は一瞬「禁煙です」という顔をしたが、黙ったまま再びダンボールに頭を突っ込んだ。
 ここにないはずはないのだ。
 ファルコンのエンジンを繋ぎ止める、一番小さな型のネジ。
「お客さんかい」
 奥の部屋からヨボヨボに年取った婆さんが顔を出した。
「1号より小さいネジなんてないでしょう、お母さん」
 店主が言うと、婆さんははたと俺の顔を見つめた。
「あんた、あの子の飛空艇を使ってるのかい」
 婆さんの目は、盗人でも見るかのように細くなった。
「あの飛空艇はあの子のものだよ。やめときな」
 俺は、黙したまま思わず目を逸らした。胸に痞えていたことを指摘されて、何も言えなくなったのだ。――そう、あの飛空艇は、今でもあいつのものだった。
 目線を戻すと、婆さんはじっと俺の顔を凝視していた。いくら女とはいっても、年寄りの婆さんに見つめられて嬉しいわけもない。何となく睨むような目つきになった俺に、息子である店主がオロオロと、俺と母親の顔を見比べた。
 時が止まったように、婆さんは俺の顔を見続けた。俺もまた、黙ったまま睨み続けた。煙草の煙だけがその間をゆらゆらと流れていた。
 やがて、婆さんはふぅ、と息を吐いた。
「それじゃ」
 煙が揺れる。
「あんたが、あの子の言ってた『坊や』なのかね」
 俺はぎょっとして、煙草を持つ手を止めた。長いこと聞かなかった単語が、今更こんなところで零れ落ちるなんて。
 まったく、とんだ坊やだよ――と、婆さんはぶつぶつ呟いた。
「誰だって見間違えるだろうさ。どこをどう見たって『坊や』には見えないからね」
「……当たりめぇだ」
 婆さんの顔に向けて煙を吐き出すと、店主が目を吊り上げて何か言いかけたが、俺の一睨みで黙った。
「あいつを知ってるのか、婆さん」
「ああ、知ってるともさ」
 婆さんは頷いた。
「あんたのことだってよぉく知ってるとも」
「気色悪ぃな」
 ぞっとしない顔をすると、婆さんは鼻を鳴らして笑った。
「あの子は、よくあんたの話をしてたからね」



***



「おばちゃん、負けてよ」
「またそれかい。ホントにあんたって子は」
「だって、今時こんなネジ買ってくのはあたしくらいなもんでしょ」
「あんたが買って行くから置いてあるんだよ、ダリル」
 そう言うと、あの子はクスリと笑った。
 あの子はよくそんな風に笑ったもんだった。目尻に皺を寄せて、いかにも楽しそうに笑う子だったよ。
「いい加減、陸に降りてきたらどうなんだい。もういい年だろうに」
「またその話」
 鼻に皺を寄せて舌を出した顔は、そばかすがあったっておかしくないくらい幼く見えてね。独り空の上に生かしておくのは勿体無いと思ったさ。
「降りてくるわけにはいかないのよ」
「どうして」
「あたしが地上に居つく時は、あの子が――あの『坊や』が、あたしを追い抜いていった時にするって決めてるの」
「ふぅん」
 あんたの話をする時、あの子の綺麗な緑色の目は、いつも楽しそうにキラキラ輝いてね。余程気に入ってるんだろうと思ったよ。
「可笑しいのよ、あの子ったら必死になってあたしの『お尻』を追いかけてくるんだもん、笑っちゃうわ」
 そう言って、本当にクスリと笑って。
「でも……きっともうすぐだと思うよ。あたしが陸に降りるのも」
「おや、そうなのかい?」
 あの子は遠くを見つめたまま、返事はしなかったけどね。
 しばらくしたらぽつりと、こう言ったんだよ。
「その時には、あの艇はあの子にあげるんだ」
 だから、他の誰にも譲る気はないのよ。そう言って、唇の端を持ち上げて笑ってね。あの子は本当に綺麗な子だったよ。
 あの子は、きっと死んだんだろう。そうなんだろう?
 あたしには何となく分かるんだよ。
 だってあの子は、本当は義理堅くて律儀な子だから。死にでもしない限り、こんな風に無沙汰はしないだろうからね。
 このネジも、もう処分しちまおうかと思ってたんだよ。全部持ってお行き。今時、こんなネジを買う客はいないんだから。



***



「早く大人になってよ」
 長い髪を煩そうに掻き上げて、ダリルはそう言った。口元は、いつものからかうような笑みを浮かべて、その唇の紅はいつもより少し褪めていた。
「誰に言ってんだ」
「あたしの可愛い坊やに」
「いつからあんたのもんになったよ」
 キッと睨むと、ダリルはクスリと笑って、俺の唇を指先でなぞった。白いそこに、あいつの赤が移った。
「色っぽくなっちゃってるわよ、ここ」
「誰のせいだ」
「さぁ、誰かしら?」
 気の済むまでそれを弄ぶと、突然シーツの間からするりと抜けて、あいつは出て行った。
 まるで、指と指の間から逃げていく水のような動きだった。何故かそれは、いつも俺をぞっとさせた。いくら掴んでも引き止められないことを、どうしてか俺は知っていたらしかった。


 ダリルははっとするくらい綺麗な女だった――あいつがカジノに入ってくれば、客が全員注目するくらいに。
 あいつは、その男たちの内で気に入った誰とでも、仮初めの一夜を楽しむことが出来た。実際そうしているところを何度も見たし、それがどんなに気に食わなくても、俺にはどうすることも出来なかった。
 それが、ある時からぱたりと止んだ。あいつは、そういった男たちと一夜を共にすることをしなくなった。いつからか、カジノで一遊びしてから、いつも同じ部屋へ戻るようになった。
 ――船長室。俺の部屋。
 どうしてかは分からなかった。俺の何を気に入ったのかも分からなかった。俺を『坊や』と呼んでからかって、楽しそうにクスリと笑って。
 朝になるまでカードの切り方を試したり、独りで黙々と玉を突いたり、勝手気ままに酒を飲んだり――たまに、眠ろうとしている俺の隣に滑り込んできた。
 散々人を逡巡して、それに飽きるとまたするりと抜け出して、気ままな遊びを続けた。


 シーツから抜け出したままの姿で、自分の服でも探しているのか金色の頭は床をあちこち見比べていた。俺は寝そべったまま、その背中を見ていた。驚くくらい滑らかな背中だった。その先は小さく窪んで、誰がこんな風に造ったのかと思うような膨らみに行きついた。
「何じろじろ見てるの」
 背中を向けたままクスリと笑うと、ダリルはそう言った。
「見ちゃ悪ぃかよ」
 答えずにもう一度クスリと笑うと、床から拾い上げたシャツを羽織って、あいつは部屋を出て行った。









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