Stars
ティナは目を開けた。真っ暗な夜空を覆うように、無数の星がキラキラと光り輝いていた。まるでそれが眩しくて眠れないかのように、ティナはただ瞬きを繰り返しながら、その光の一つ一つを確かめるように見つめ続けた。
綺麗、だな。
ふと、ティナは心に浮かんだ気持ちを言葉に変換してみた。
夜になると光り出すそれが何なのかさえよくは思い出せなかったけれど、その光はティナの心をやんわりと捉え、ティナはそれを好きだと思った。
「眠れないのかい?」
突然頭の遠いところから静かな声が響いて、それが自分に向けられたものらしいと気付くと、ティナは身体を起こした。
エドガーはこちらを見ていた。焚き火の側に座って、その番を買って出ているらしい。そういえば、少し前にロックと二人で何かを相談していたが、そういうことだったのかとティナは考えた。
そのロックは、ティナとは反対側の木の下で、毛布に包まってぐうぐう眠っていた。
フィガロを発って小一時間の後、朝までまだ間があったため、森の浅いところで仮眠を取ることになった。ティナは疲れてもいなかったし眠くもなかったが、二人が言うままに横になって休んだ。
しかし、目を閉じてもあの言葉が頭にこびりついて離れなかった。
生まれ付き、魔導の力を持った人間などいない。
それは、根を生やしたようにティナの心を占拠した。それに抗う術を、彼女は持ち合わせていなかった。
「さっき言ったこと、気にしてるんだね」
エドガーがそう言った時、ティナは少し驚いたように顔を上げた。
「……どうして分かったの?」
ティナが小さく首を傾げると、エドガーは文字通りの苦笑を洩らした。
こっちへおいで、と、エドガーは自分が座っていた丸太の一部を彼女のために開放した。ティナが招かれるままそこに座ると、エドガーは小さく溜め息を吐いた。
「済まなかった。つい不用意なことを言ってしまった」
ティナはエドガーの顔を見上げた。初めてこんなにもじっと人の顔を見た。エドガーの目は、ティナが思っていたより優しい色をしていた。
優しくて、悲しい色をしていた。
「いくら驚いたとは言え、君を傷つけるようなことをしてしまって……申し開きのしようもない」
「でも、本当のことだもの」
許しを請う声があまりに悲しげなので、ティナはそう言ってフォローしたつもりだった。しかし、エドガーの目はますます悲しそうになった。
「本当かどうかは、問題じゃないんだ」
そう言うと、エドガーは目を逸らして焚き火を見つめた。
「いつもそうだ。私の悪い癖だ」
独り言のように、彼は呟いた。
「何でも理論的に考えなければ気が済まない。筋道を立て、裏付けを取り、それでも疑心暗鬼になって、結局は何も信じない。常に自分の得になるのはどちらかと天秤に掛けて、先を読もうとする。そして気付くんだ。真実はいつも人の心の中に存在しているのに、その周りばかり掘ったり埋めたりして、いつまでも答えに行き着けない。そこに行き着けないのは、誰も彼もを自分の思い通りに動かそうとしているからだってね」
ティナは、無感動な瞳でその横顔を伺っていた。
エドガーは何かに憤っていて、その相手はどうやら彼自身らしかった。憤っていて、焦れていて、呆れているのだ――自分自身に。
「でも、私は知りたいと思っているわ」
エドガーが言っているのがそのことなら、ティナはそう言わざるを得なかった。力の正体を知るのは怖かったが、知らないままでいいとも思えなかった。エドガーはその気持ちを利用したのかもしれないけれど、エドガーがそれを材料に駆け引きしたのだとしたら、ティナもその駆け引きを利用したことになる。
一人では出来ない。それは、分かっていた。
「もう、私の力を悪いことに使いたくないの」
「リターナーが良い所だと、どうして信じられる?」
エドガーは答えを聞くのを怖がっているかのように、ティナと目を合わせようとはしなかった。
ティナは黙って考え込んだ。今までいた「帝国」という所へは帰りたくなかった。「あやつりの輪」などという恐ろしげなもので自分の思考を全て奪い、酷いことをさせた。ティナは、一瞬そのことを思い出しそうになって頭を軽く振った。
なら、リターナーの人はどうだったろう。「あやつりの輪」を外し、守ると言ってくれた。帝国の人間が自分を取り返しに来たけれど、それをかわして連れ出してくれた。
それに、みんな優しかった。例え何が合っていて何が間違っていたとしても、優しさだけで信じてしまうことは愚かなことではないとティナは思った。
それとも、リターナーへ行ってもやはりこの力は何かに利用され、結局は思わざるところで誰かを傷つけたり、命を奪ったりするのだろうか。
ティナは、自分の両の手を見つめた。
「ティナ」
エドガーが名を呼んだ。小さな声で、ゆっくりと響いた。
「約束は出来ない。君が安寧の時を得て、これからは何の不安もなく暮らしていけるように保護してあげるわけじゃないんだ。もし君がそれを望んでいるのなら、きっとリターナーも帝国と同じ場所かもしれない。辛くて悲しい、残酷な場所だ」
「でも、私はそんなこと望んでない」
ティナは小さく頭を振った。
「……もしかしたら、もっと残酷かもしれない。今まではティナの意志でしていたわけじゃなかったことを、今度は君の意思でしなければならなくなる。逃げられない。誰かのせいにすることはもう出来ない」
ティナは再び頭を振った。
誰かのせいにして逃げようなんて、思っていなかった。
「それでも、君を帝国へやるわけにはいかないんだ。分かって欲しい」
見上げると、エドガーは真剣な眼差しをしてティナを見ていた。
世界の平和のためだけに、そう言っているわけではないのだろうとティナは思った。
その力が世界を、世界中の人々を、罪の無い命を、全てを奪ったら。それを知った時、きっと彼女は生きてはいられない。そんなことにはさせたくない。
国王であるエドガーがたった一人を救うためだけに動くことなどほとんどないことはティナにも理解できたが、もし誰かを救うことと、世界を救うことが同居できるのなら、彼は迷わずその選択肢を取るだろうと思った。
きっと、彼は「間違い」ではない。
「帝国へは帰りたくない」
ティナは、自分の気持ちの中で明確な部分だけを言葉に表した。
「この力のことを……もっとよく知りたいの」
最後は小さく掠れて消えた。それを知ることは本意であり、本意でなかった。
「分かった。協力するよ」
エドガーがそう言うと、ティナはほっとしたように顔を上げた。
「そうしたら、もうお休み。明日は早めに窟を抜けなければならないから」
ティナは頷くと、起き抜けのままの毛布が置かれた場所まで戻った。
「お休みなさい」
横になる前に振り向いて彼を見ると、微笑んで手を振った。
*
しばらくすると、ティナの毛布は規則正しく上下し始めた。やっと眠りに堕ちることができたらしいと、エドガーは思う。
焚き火の番を交代する時間は過ぎていたが、エドガーは黙って座ったままだった。
このままでは、きっと同じ結果になるだろう。
彼は、今はっきりとそのことに思い至っていた。
彼女の力を利用して、罪の無い人々の命を奪い、権力を誇示し、世界を征服することと。
彼女の力を利用して、罪の無い兵の命を奪い、正義を傘に、世界を救うこと。
どこが違う、同じではないか。
そのことに気付いた時、エドガーは呆然となった。
例え世界を救うことが目的だったとしても、彼女の無知を利用して取り込むのなら、結局は帝国と同じことだ。他の全ての人にとっては違う意義があったとしても、彼女自身には同じ結果しか生まない。
それを無理強いしようとしていたことを、エドガーは後悔した。ティナをリターナーへ連れて行けば、きっとバナンが彼女を説き伏せるだろう。
それを傍観しているなら、自分も同罪だ。
エドガーは小さく溜め息を吐いた。せめて彼女自身の意思で戦いに加わって欲しいと思った。
そして、それが一番残酷な話だということも分かっていた。
――誰かを利用するのは、もうたくさんだ。
ティナの毛布は相変わらず規則正しく上下していた。エドガーは、その様子をじっと見守っていた。
-Fin-
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