Remember Your King




<1>



「行けないわ」
 ティナは困ったように眉根を寄せて、頭を振った。
「エドガーに迷惑をかけるわけにはいかないもの」
「でも、兄貴がフィガロに呼び寄せたいって言ってるんだよ」
 マッシュはそう答えた。
 そもそも、彼がモブリズに通うようになったのも彼の兄の指示によるものだった。そうでなければ、のんびり大らかなマッシュがそんなことに気付くはずもなかったのだ。
 だから、モブリズへ来るのも何となく兄の名代のような気がしていた。
 フィガロへ帰ると、エドガーはマッシュにティナがどうしているかを詳しく話させた。あまりに細々と聞かれるので、マッシュは滞在中のことを一生懸命思い出さねばならないほどだった。
 しかし、きっと誰が相手でも彼はそうしたのだろう。例えば、ロックが一人で城へ来たなら「セリスはどうしているか」と訊くだろうし、リルム一人で上京する用事があったなら「ストラゴスはどうしているか」と訊いたのだろう。
 他のメンバーに、そんな機会がなかっただけだ。セリスはいつもロックと一緒に行動していたし、リルムはストラゴスとサマサにいた。
「この村から離れるわけにはいかないの」
 ティナは少し寂しげに微笑んだ。
「今さ、セリスもフィガロに来てるんだよ」
「聞いたわ」
「まぁ、ロックとセリスはたまに顔出すくらいなんだけどさ、でも、フィガロにいればモグやウーマロにも会えるし、もちろんガウも俺と一緒に出入りするし、カイエンだって月一くらいで会談に来るし……」
「知ってる」
 マッシュは頭を掻いた。
「ティナを連れて帰らないと、兄貴に叱られるんだよなぁ」
 その言に、くすっと可愛らしい笑いが洩れる。
「手紙を持って行ってくれる? あなたを叱らないようにって書き加えておくわ」
 ティナが立ち上がると、マッシュはうーんと唸り声を上げた。
 強情だ。ティナがどうにも強情なのは今に始まったことではない。あの旅の間にも、感情が戻った頃から強情さが垣間見えるようになっていた。
「それにさ、ストラゴスとリルムもフィガロに来るんだよ」
 引き出しから書き掛けらしい手紙を取り出すティナに、マッシュはダメ押しとばかりにそう説明した。
 効果はあり、ティナは顔を上げてマッシュを見た。
「どうして?」
「今度フィガロが中心になって、召喚獣の研究をすることになったんだよ。それで、ストラゴスが詳しいからって……」
 しかし、そこまで言ってからマッシュは一言も喋れなくなった。
 ティナの表情はみるみる曇り、ほとんど蒼白になっていた。
「あ、あの……ティナにも手伝って欲しいんだ、兄貴は」
 しかし、彼女は力ない笑みを浮かべて、弱々しく首を横に振っただけだった。


 本当は行きたかった。召喚獣のことをもっと詳しく知りたいし、仲間たちにも会いたい。ロックやセリスはたまにモブリズを訪れてくれたし、セッツァーも気が向けば顔を見せに来てくれたが、他の仲間たちとはあれ以来一度も会っていなかった。
 みんなに会いたかった。しかし、ティナは我が侭を言えなかった。
 帝国を抜け出し、最初に居場所を与えてくれたのは仲間たちだった。みんなが彼女に、安心と温もりをくれた。ティナは、生まれて初めて喜びを感じた。嬉しかった。
 でも、この村は違うのだ。この村には、どこもかしこもティナが取り仕切っていない場所なんてなかった。彼女がいなければ立ち回らない部分は多く、みんなの支えとしてティナは絶対的存在だった。
 そんな場所を、自分の我が侭から失うことはできなかった。必要とされることが、彼女に生きる意味を与え続けていた。
 それを失うことは、死ぬのと同じことだった。



***



「駄目だったか」
 エドガーが深々と息を吐き、マッシュは一瞬縮み上がった。ティナに言ったことは一種出任せのようなものだったが、言ってしまったがために実際起こりそうな気がしていたのだ。
 しかし、兄は穏やかそうな目を弟に向けて「どうかしたのか」と呟いただけだった。
「あ、いや。こっちの話」
「ティナは元気にしていたか」
「うん」
「変わりなかったか?」
「……うん」
 エドガーはまだ何か訊きたそうにしていたが、諦めたように頭を振った。
 朝は何時に起きて、何時に飯を食ってと説明したら、この人は満足するのだろうかとマッシュは思った。
「手紙、預かったんだ」
 マッシュが執務机に置いてやると、エドガーはにっこりと笑って礼を言った。
「お前をあまり怒らないようにって書いてもらったのか?」
「――えっ?」
 マッシュが目を見開いたが、エドガーはただクツクツと面白そうに喉の奥を鳴らしただけだった。


 ティナをフィガロに呼び寄せようとしてから、かれこれ二年が過ぎてしまった。
 手紙には、彼女が二年間言い続けている言葉が強情に並んでいた。
 モブリズを離れるわけにはいかない、フィガロにお世話になるわけにはいかない、エドガーに迷惑をかけるわけにはいかない、せっかく誘ってくれるのに申し訳ないけど……嗚呼、耳にタコだ。
 そして最後の方に、新しいインクで「私がフィガロに行かないのは、マッシュのせいじゃなくて、私の都合だから」というようなことが書いてあった。
 「いつも気を配ってくれてること、とても感謝しているの」
 と、ティナは書いていた。
 「だから、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないわ」
 彼女からの手紙を最後まで読んでしまうと、エドガーはそれを丁寧な仕草で封筒に戻し、机の上に置いた。
 エドガーの目は、ずっと遠くの夜の空を見つめていた。









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