<2>



「セリス、頼みがあるんだけど」
 ロックと共に城を訪れていたセリスに、エドガーは呑気そうな声をかけた。
「ティナのことなら私は……」
 と、セリスが言いかけると、
「いや、そうじゃない」
 セリスの唇に軽く人差し指を当て、エドガーは苦笑交じりの笑みを浮かべた。
「確かにティナは、セリスが頼み込めばこっちへ来る気になるのかもしれないけどね」
 エドガーの軟派な仕草に、セリスは僅かに戸惑ったような顔をした。
「じゃぁ、何よ」
「フィガロの将軍にならないかい?」
「……はい?」
「おや、耳が悪くなったのかな」
 エドガーが面白そうにくすりと笑ったので、セリスは眉間に皺を寄せた。
 この人は、どうも他人を驚かせて喜んでいる節がある。
「……いいえ、聞こえたわ」
「フィガロの将軍に、ぜひ君を推したいんだ」
「無理よ」
「どうして」
「だって……私は帝国の将軍だった人間よ」
「だからこそ、さ」
 エドガーはパチッとウィンクして見せた。
「敵将だった者でも、才があるなら重用する。古からそうと決まっているじゃないか」
「でも……」
 セリスは色々なことに考えを巡らせた。
 子供ができて以来、ロックと一緒に行動するのは確かに困難ではあった。モンスターの数は安定してきたし、もうセリスが一緒でなくてもロックに危険が及ぶことはないだろう。しかし、だからと言って子供もいる自分がフィガロの将軍職など、やはり内輪贔屓と言われるのではないか?
「可愛い姫君には世話役をつけるよ」
 難なく思考を読んで、エドガーが先回りした。
「それに、働いているお母さんの格好いい背中を見ていた方が、教育上もいいんじゃないか?」
 格好いい悪いは置いておいたとしても、セリスもずっと気にしていた。まだ小さなあの子を長い旅路に、モンスターとの戦闘に同行させているのは、あまり得策ではなかった。
「……それじゃ、あなた全部決めちゃってるわけね」
「もちろん」
 エドガーは満足そうに微笑んだ。
「あとは、君のご亭主の了承を得るだけさ」
 冗談めかして、エドガーは肩を竦めた。
 セリスは小さく息を吐いた。ロックは……なんと言うだろうか?


「げ、マジかよ」
 ロックは喉元に手を当てて、そう呻いた。
「お前何考えてんだよ」
「なんだ、反対か?」
 エドガーが可笑しそうに笑った。
「別に反対って訳じゃないけど」
「え、反対じゃないの?」
 今度はセリスが目を丸くして尋ねた。
 フィガロの将軍になったら、もうロックと共に旅をすることはできない。だから、彼は反対するだろうと思っていたのだ。
「どこかに定住した方がいいとは……常々思ってたんだよ」
 ロックは鼻の頭を掻きながら、そう言った。
「何となくズルズルここまできちゃったけど」
「でも、あなた一人で行かなきゃならないのよ? いいの?」
「そりゃ、離れるのは海よりも深く寂しいよ……仕事の間だけとは言え」
 エドガーがクツクツと笑った。
「なるべく考慮するさ」
「お願いシマス」
 結局、ロックはエドガーの考えに賛同してしまった。
 そうなれば、もうセリスに申し出を拒否しなければならない理由は何もなかった。



***



「それで、セリスが将軍になったってわけよ」
 リルムは絵筆を滑らせながら、そう言った。
 ティナは「まぁ」と呟いて、頬に手を当てた。
「セリスは、よく請合ったわね」
「だって、おちびちゃんがいるから旅は大変じゃない。いくらロックがずっと背負って行くって言ったって、結構危ないところにも足を踏み入れるわけだし」
「そう……そうよね」
 そこで、ティナは黙った。帝国の将軍だったセリスが、簡単にYesと言ったとは思えなかった。エドガーが強く求めたのだろうか。セリスだって、きっと仲間の役に立ちたいと思うだろう。
「ティナも来ればいいのにさー」
 リルムは唇を尖らせた。
「エドガーは、毎日毎日ティナがティナがって言ってるんだから。もう聞き飽きたよ」
「私のこと?」
「そ。召喚獣の研究にはティナが必要だ、ティナがいればセリスも気が紛れるとか、あとは……そう、ティナが好きなお茶をマッシュに買いに行かせたりして」
「え、どうして?」
「知らないわよ。何だか知らないけど、色男はティナのことがすごーく気になるみたいね」
 リルムはおどけたように肩を竦めた。
 ちなみに、お茶の件は数日後に解明されることとなる。マッシュがいつものように物資を運んできて、その中にティナの好きなお茶が入っていたのだった。
「それでさ、あたしがこうしてティナの肖像画を描いて、国王陛下に謙譲仕ることになっちゃったわけ」
「どうして私の……?」
 ティナは吃驚した顔で、リルムを見つめた。
「え、ティナってば本気で言ってるの?」
 リルムはスケッチブックから顔を上げて、目を瞠った。
「やだ、分からないわけ?」
「……ええ」
「だって、色男はティナのこと好きなんじゃないの?」
「え?」
 ティナは丸くしていた目を、もっと丸くした。
「そ、そうなの?」
「そうなの? って言われたって、知らないよ。あたしにはそうとしか思えないけど」
「エドガーが、私を……?」
 ティナは自分の唇に指で触れたまま、呆然として呟いた。
 そんなはずがないと思った。エドガーはティナよりもずっと大人で、威厳があって、フィガロの国王で、世の中の良い部分も悪い部分ももう全部見てきたような人だった。そんな彼が、こんなどこにも身の置き場のない、蜉蝣のような自分を好いているはずがない、と。
 少なくとも、『そういう』意味では。









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