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「やぁ、おかえり」
 野暮用でフィガロへ行くと、必ずエドガーはそう言って俺を迎えた。
 最初は違和感が強くて、「なんでおかえりなんだよ」と唇を尖らしたりしていた。「フィガロではどんな旅人にも『ようこそ』とは言わずに、『おかえり』と言うんだよ」と、あの国王は涼しい顔でいけしゃあしゃあと嘘ばっかり言って、後で気付いたことだけど、城下町でそんなの見たことがなかった。

   「おかえり」

 それが、俺にとって辛い記憶を呼び覚ます言葉になってから、エドガーは俺が顔を見せても、もう二度とそう言わなくなった。
 そのことに俺が気付くまでには、ひどく時間がかかったけれど。



「やぁ、ロックじゃないか。久しぶり」
 国王の椅子に座ったまま、エドガーはいつものようにニッコリ微笑んだ。
 扉を開けて一瞬見えた彼の難しい顔は、見間違いだったかと思うほどだった。
「バナン様から」
 見たこともないような厳しい表情になんとなく衝撃を受けて、思わずつっけんどんな物言いになってしまった。
「何だ、機嫌でも悪いか。あ、あれだな? 腹が減ってるんだろう」
「違ぇよ」
 エドガーは急に押し黙ると、左肘を肘掛に乗せ、頬杖を付いた。それは彼の十八番ポーズだった。そのままの格好でじっと見つめてくる。
 男に見つめられても、ちっとも嬉しくなかった。青い目は全てを見透かしてしまうようで、余計に嫌だった。
「帝国兵が、ナルシェへ向かったらしい」
「ナルシェ?」
 突然向けられた話題に、思わず聞き返す。
「氷付けのモンスターが見つかったとかいう話でな。詳しいことはよく分からないが」
「それと帝国と、どう関係が?」
 エドガーは立ち上がり、窓の外を眺めた。
「魔導の力を持つ娘の話は聞いたことがあるか?」
「バナン様から、少し」
「その娘も、今回の作戦に同行しているという話だ」
 エドガーが何を言いたいのか分かった。こいつの論理では、魔導の力を利用して強大化しつつある帝国に対抗するには、こちらも魔導の力を手に入れるべきだということになるらしい。
 こういう話をするとき、こいつは国王なんだと実感させられる。国を守るために色んなことを考える。例えそれが非道なことであっても臆せず実行する。それが出来なければ、国を守れないから。
 綺麗な顔をして綺麗に着飾っても、心のうちにはいつもそんな暗いものを抱えている。太陽のように笑っていた、あの頃が――
「ロック」
 不意に名を呼ばれ、俺は顔を上げた。
 冷たい海のような双眸がこちらを見ていた。
「その娘を、こちらの側に取り込めないだろうか」
 一瞬ぐっと詰まった。取り込むなんて……まるで道具のような。
「女と言うからには、お前の得意技でも使う気か」
「どんな手を使ってもいいと思う」
 思わず「ひでぇ」と言おうとして、やめた。あいつの目の奥にいつの間にか住み着いた暗闇が、色を増したから。



 彼女の無表情な瞳は、いつもどこか別の空間を見ているようだった。
 助け出した「魔導の娘」は想像していたのとは全く違った、華奢で色白の、文字通りか弱い少女だった。帝国にいた頃のことはおろか、全ての記憶を失っていて、俺は放っておけなかった。
 確かに不思議な力を持っているようだったけれど、それはどこか人間のぬくもりを感じさせるような、柔らかい光だった。
 エドガーは、本気でこの子を「どんな手を使って」でも「取り込」もうとするのだろうか? この子を目の前にしたら、さすがのあいつも動揺するんじゃないか?
 腕なんて、ちょっと捻ったら折れちまいそうだし。なんだかふわふわして、生きてるって実感が持てない。今まで帝国で、どんな風に暮らしていたんだろう?


「この娘が……」
 と言ったきり、エドガーはまじまじとティナを見つめたまま、固まってしまった。
 やっぱり。ちょっとだけため息をつく。
 百戦練磨の国王様も、この娘にはお手上げってわけだな。
 悪戯心で二人きりにしてみたけれど、「どんな手を使って」いることか、ちょっとだけ心配になる。ほんのちょっとだけ。
 エドガーは、国王になって変わった。冷徹になったという人もいるだろうし、如才がないと言う人もいるだろうけど、柔軟になったというのが俺の感想だ。
 しなやかな生き方ができるようになった。それは国王になったからじゃなく、彼が大人になったから、かもしれないけれど。
 きっと、エドガーはティナを助けたいと思うに違いない。利用したいと思うより前に、暗闇から救ってやりたいと。

 自分を、見ているような気がするんじゃないかな。


 砂漠の青空を見上げて、小さく息を吐く。


 「おかえり」


 それは、誰かの故郷になりたい、と言っているのと同じこと。
 彼は、誰かが自分の元へ帰ってきてくれることを、誰かが彼を帰り着く場所として認めてくれることを、いつも無意識に願っている。
 結局は、孤独な男なのだ。


 もう一度、太陽のように笑っていた少年時代の彼に会いたいと、俺はそう思った。



-Fin-









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