<11>



「だから右手も鍛えておけば良かったんだよ」
 と、暢気そうな声でエドガーがそう言った。
「お前は左も鍛えてんのかよ」
「字も書ける」
「……マジかよ」
「箸も持てるぞ」
「お前の国に箸があるかよ」
 セッツァーは溜め息を一つ吐くと、ごろりと寝返りを打った。


 ドアを蹴破ったのは、ロックだった。
 ちょうどセッツァーが右腕で斧を受け止めているところだった。素人の腕力でも、重くて一杯一杯だったのだ。
 大体、日頃からカードより重いものは持たないし。
 別の人間が割って入って来たことで、死神男はやっと観念して武器を捨てた。
 ダリルは泣いていた。


「お前は嫌味な男だよ」
 セッツァーは壁に向かってそう呟いた。
「その通りさ」
 エドガーは鼻で哂った。
「ここで治療させるのは、君への嫌がらせだよ」
「お蔭で助かりました国王陛下って言えば気が済むのかよ」
「いや」
 エドガーは、懐から巻き煙草を一本取り出して、わざわざセッツァーの左側に差し出した。
「君の利き腕が無事なら、それで満足だ」
 セッツァーは大げさに顔を顰めてから、それを左手で受け取った。


 三回断ったのに、ロックは「フィガロへ行く」と言って聞かなかった。
 右腕だけでもファルコンを飛ばせたけれど、助けてもらった以上は口を挟めず、結局ロックはさっさと自分で舵を取って、本当に砂漠までしょっ引かれた。
 エドガーはセッツァーをわざわざ王宮医務官のところへ連れて行った。
 「処置が違えば大事でしたよ」と、医務官は国王に報告した。フィガロの医療レベルは今のところ世界最先端だった――魔導の力が消えた今、という意味で。


「私にまだ力があったら、すぐ治してあげられたのに」
 モグの頭を撫でながら、ティナが寂しそうにそう呟いた。
「君は自分の役割をちゃんと果たしたよ」
 エドガーがそう慰めると、ティナはふふ、と笑った。
「お酒はダメ、タバコもダメ、ダリルもダメ」
 ティナの純粋な瞳で注意されたら、さしものセッツァーも「はい」と大人しく言うことを聞かねばならない。エドガーはこの三つの注意事項をティナに口伝えで教え(最後の一つはセッツァーを大いに凹ませた)、ついでに怪我人の世話を頼んだのだった。
「本当にお前は嫌味なヤツだよ、エドガー」
「痛み入るね」
「……褒めてねぇ」
「ふふ、本当に二人は仲がいいのね」
 ティナが場違いなほど涼しげな声でそう言った。



 セッツァーが本気で凹んだのは、本当にダリルに会わせてもらえなかった事だった。
 ティナに問い詰めて聞いたところでは、とりあえず怪我もないし、多少のショックはあっても元気にしてはいるという事だったが、「呼んで来い」と言っても、ティナは左右に首を振って、「もう少し回復してから」と繰り返した。
 どっちが回復してからなのか、どこか悪いのか、セッツァーは左腕を恨めしげに見るのだった。
 一週間もの間、セッツァーはダリルの顔を見ることはおろか、話もさせてもらえなかった。
 挙句、部屋を抜け出してダリルを探そうとしたセッツァーは、ティナにプロレス技をかけられるに至った。
 もう二度としないと、誓わざるを得なかった。
 確かに、彼女は監視役としても、看病人としても超一流だった。


 だから、ある夜寝苦しくて目を開けたら、ベッドサイドにダリルがぼうっと立っていたので、セッツァーは思わず喉の奥で悲鳴を零したのだった。
「お、お前……」
 幽霊か? 怨霊か? いやいや、まさか。
 ダリルはじぃっとセッツァーを見ていた。
「調子はどう?」
 やがて、そう尋ねてベッドに腰を下ろした。
「良かったわね、いいお医者さんに診てもらえて」
「……まぁ、国王のダチも悪くはねぇだろ?」
 彼女はクスリ、と小さく笑った。
 そのまま、しばらく沈黙が流れた。
 セッツァーはベッドに寝そべったまま、じっと待っていた。
「なんて、言ったらいいのかな」
 ダリルはそう呟いた。
「……無茶させて悪かったわ」
 困ったように、髪の先を指で弄くった。
「あんたにこんな怪我までさせて。喧嘩なんて売らなきゃ良かった」
「別に構わねぇさ」
 正直、ダリルを取り戻せるなら腕の一本くらい安いものだと思った。
 まぁ……嫌味な王様のお蔭で一本もやらずに済んだが。
「あんたに庇われてるようじゃ、あたしもまだまだだね」
 相変わらず髪を弄りながら、ダリルはそう言った。
「いつからそんな頼れる男になったの?」
「元からだよ」
「嘘よ、ネンネだったじゃない」
「……あ?」
 セッツァーはがばりと起き上がった。
「何だよ、まるで知ってるみたいな言い草じゃねぇか」
「……そうよ」
 ぽかんとした顔のセッツァーに向き直って、ダリルはもう一度はっきりと言った。
「そうよ、知ってるもの」
「……は?」
「思い出したの、色々」
「思い……出した?」
「そう。まだ全部じゃないけど、細切れに色々」
「……どういう……ことだ?」
「前から、血を見ると頭が痛んだんだけど」
 枝毛を見つけた指が金髪を一本摘み上げるのを、セッツァーは呆然と見ていた。
「たぶん事故の後遺症?なのかな。それで、この間はなんていうか……かなりの衝撃だったから、一遍に色々思い出したみたい」
「何を」
「え?」
「何を思い出したんだよ」
「だから、色々」
「色々って何だよ」
「……例えば」
 ダリルは考えるように、壁の白い線を目でなぞった。
「あんたと最初にあった日よ。本をあげたわ」
 確かにもらった。
「それから、あんたが意地っ張りの可愛い坊やだったこと、とか」
 うるせぇ。
「最後のフライトは」
 ダリルの目が、セッツァーのそれへと戻ってくる。
「あたしが意地っ張りだった」
 セッツァーは僅かに見開かれた目で、黙って彼女を見ていた。
「意地なんて張らなければ良かった……降参って言えば良かったのよ。馬鹿ね、あたしも」
 そう言って、ダリルは笑った。


 それは、セッツァーが五年間探し続けた言葉だった。


「ファルコンはあんたのものよ、セッツァー」
 そういう約束だったでしょ。ダリルは片目を閉じてみせた。
「あの艇はお前のもんだよ」
「あら、嫌よ。他人のお古なんて」
「お古ってな……」
「あんたたち、無断で乗り回したんでしょ?」
「……どうやって断り入れりゃ良かったんだよ」
「あたしは、また新しいのを造るわ」
 猫のような緑の瞳がきらりと光った。
「だから、それまでは居候させてよ」
 セッツァーの唇が「え?」という形になって、空気が漏れた。
「その間にギャンブルで儲けて、素敵な王様にお金を返さないとね」
 もう一度空気の漏れる音がして。
「……あのクソ国王に何を言われた」
「だって、お金借りたんでしょ?」
「あいつに何された」
「面白いわね、あの人」
 ダリルはクスリと笑った。
「『栄光の翼に、世界一の尊敬を』ってキスしてくれたわ」
「キ……!!!」
「手の甲に」
 ガクっ。
「あと、美しい人に会えて光栄だとか何とか。ハーレクインみたい」







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