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「ニケアへ行きたいの」
ダリルがそう言い出したのは、その生活が二、三日続いた後のことだった。
「ニケア?」
「そう。店の女の子でね、お客にニケアへ連れてってもらって、流行の服とか買い物をいっぱいして帰ってきた子がいてさ、私も一度行ってみたいな〜と思ってたわけ」
「別に構わねぇぜ。どうせひとっ飛びだしな」
戦争が終わって、真っ先に立ち直ったのはこの港町だった。
フィガロや南方、西方とも繋がる航路の果てにあるこの町は、人も物も目まぐるしく行き交う、今大陸一栄える交易街だ。
高級店が立ち並び、人々は忙しげに擦れ違っていく。
着飾った女たちには反吐が出たが、セッツァーもこの町は嫌いではなかった。
ダリルは、仕事仲間から聞いたか何かで耳に覚えのある店を梯子して、相変わらず趣味よく選んだ服を数点と、装飾品や小物、雑貨を買って歩いた。
「本当にいいの?」
何度か顔を上げ、セッツァーに値札を示したが、その度に「気に入ったなら買えばいい」と応じた。
妙な倒錯感があった。こんな風に、ダリルに何か買ってやる日が来るなんて思わなかった。
あいつは、傲慢で、高飛車で、自立した――孤独な女だった。
「お腹空いたね」
最後の店を出ると、ダリルはそう言ってセッツァーを見上げた。
「もうお昼時なんてとっくに過ぎちゃってるけど」
「どっか開いてるだろ」
高そうな店は軒並み昼休みで閉じていて、いかにも安くて不味そうな喫茶店が一つだけ開いていた。そんな店には凡そ不釣合いな二人だったが、腹が減っていたので構わず入った。
「こういうとこって、何だか落ち着かないのよ」
ダリルが小声で耳打ちした。
「私みたいなのは、こういう所の方が落ち着きそうなもんだけど」
――お前は、違う。
そう言おうとして、セッツァーは口を閉じた。
「でも、たまにはいいかもね」
不味いサンドイッチと不味いコーヒーを飲んでいたら、耳慣れた声に名を呼ばれて思わず咳き込んだ。
「「セッツァー!!」」
振り向くと、セリスと馬鹿盗賊がいかにも買い物帰りという風情で、飲み物の乗ったトレイを運んでいた。
そういえば、ニケアにはこいつらの新居があることを忘れていた――。
「こんなところで何やってるのよ?」
「あれ、誰だその人……」
ロックが不躾にダリルを指差し、おや、という顔をする。
ダリルはダリルで、「知り合い?」と顔を寄せて囁いた。
……七面倒なことになったな、こりゃ。
「ロックにセリス。俺の仲間だ。それから、こっちはダリル」
「こんにちは」
ダリルは愛想よく会釈した、が。
「……ダ」
「ダリ……」
「「ダリルーーーー!?」」
***
「こんなこと言ったら悪いんですけど、まさか生きてらしたなんて……」
ロックとセリスの新居。どうしても話が込み合うからと、彼らの家へ半ば強引に連れ込まれた。
「俺たち、ダリルさんのお陰でこうして平和を取り戻せたんです」
ロックの言葉に、ダリルはどういうことかとセッツァーを見た。
「俺の艇は世界崩壊の時に駄目になったからな」
「ふぅん?」
今度は、ロックとセリスが顔を見合わせた。
「そういう話、まだしてないのか?」
「……ああ」
「どうして? 会ったら一番に……」
「色々順番ってもんがあるんだよ、放っとけ」
昔と変わらずきらきらとかじゃらじゃらとかが好きなダリルに、ロックは自分のお宝自慢をしていた。
離れたところからそれを見ていたセッツァーに、コーヒーを運んできたセリスが小さく呟いた。
「……何かあったの?」
勘が鋭いのは、前と同じだった。平和な世の中になってつい忘れてしまいがちだが、このうら若き美女は、元は帝国の将軍だったのだ。
セッツァーは黙ったまま是も否もしなかった。
セリスはちらりとダリルに目を遣ってから、セッツァーの隣に腰掛けた。
「何だか変な感じ……前からダリルさんのことを知ってるわけじゃないけど、何か変だと思うのよ」
「ほう」
気のない返事だけを唇から漏らす。セリスがセッツァーに振り向いた。
「私たちには話せないようなこと?」
青い瞳が訝しそうな色になる。セッツァーが小さく笑うと、その目はますます丸くなった。
話せないようなこと、かもしれない。
――特に、あの盗賊馬鹿にはな。
「気になるなら本人から聞けばいいだろ」
セッツァーは嘯いて、煙草に火を点けかけたが、ふと気付いてそれをやめる。
「だってあなたも変だもの」
セリスは尚も食い下がってきた。
「ダリルさんは今までどこにいたの? どこで何をしていて、どうしてあなたに連絡も取らなかったのよ?」
「セリス」
火を点けないまま銜えた煙草を、指で摘んで握り潰す。
まったく、この世界はどこもかしこもお目出度い奴らばかりだな。
「随分と他人のことを詮索するんだな」
「だって気になるじゃない」
セッツァーはため息を吐いて、「つまり」と口を開いた。
「こういうことだよ。あいつは、ダリルであってダリルじゃない。だから俺を知らないし、知らない奴に連絡なんぞ取れるはずもなかったワケさ」
「……どういう意味?」
くしゃくしゃになった巻き煙草を不健康そうな指から取り上げて、セリスは小さく「ありがとう」と礼を述べた。
「あの事故の前の記憶が、何一つ残ってないらしい」
「……え?」
意外な言葉が返ってきたらしく、セリスは目を見開いた。
「それって……」
「あれだけの事故だ、命が残っただけでも奇跡だろうさ――前から、悪運だけは強い女だからな」
セリスがもう一度ダリルを見て、何とも言えない鹿爪らしい顔をした。
「そういうこと……」
「別に、俺にはどうだって関係ないけどよ」
手持ち無沙汰な間を持たそうと、セリスが運んできたコーヒーを口に運ぶ。
「あいつが生きてたら、それだけで十分だ」
そう言うと、セリスは僅かに眉を顰めた。
「当てつけじゃねぇぞ」
「そんなこと言ってない」
「あの盗賊馬鹿にはいちいち言わなくていいからな」
もう一口コーヒーを呑んで、セッツァーは立ち上がった。
「おい、そろそろ帰るぞ」
***
「彼女、可愛い娘ね」
ファルコンに帰って、ダリルが最初に発したのはそんな言葉だった。
「セリスか?」
「そう。幸せそうで、朗らかで」
「まぁ、な」
幸せそうで朗らか、か。最初にセッツァーが出会った彼女は、その対極にあるような、頑なで憂いのある少女だった。
「結構好みなんでしょ」
ダリルはクスリと笑った。
「あの坊やに盗られちゃったのね」
年下の男を捕まえて『坊や』と言うのは前と同じらしかった。
「あれは元から俺のモンじゃねぇぞ」
そう、一度として彼のものにはならなかった。
少女は頑なで、例え裏切り者と疑われようとも、その心を他へ傾かせることはついになかったのだ。
それは、どうしてかセッツァーをひどく満足させる結果だった。その心の頑なさが気に入った。
「何だか負け犬っぽいわね」
ダリルはそう呟いて、またクスリと笑った。
セッツァーは軽く肩を竦めただけで、何も言わなかった。
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