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 約束の期間は、残り一週間になっていた。
 その日、セッツァーは徐にそれからの話を持ちかけた。
 「あの店は辞めて、一緒に旅を続ければいい」と。
「そんなこと出来ないわ」
 ダリルは冷たい声色でそうとだけ伝えた。
 辞めることは出来なかった。セッツァーの払った大金で随分減ってはいるだろうが、借金はまだ山のようにあった。
 それに、助けてもらった恩もある。
「その歳で、あと何年働くつもりだよ」
 セッツァーは煙を吐き出しながら、まるで揶揄うように言った。
「もうギリギリなんだろ」
「同じ仕事が出来なくても、違う仕事が出来るもの」
「ダリル」
 ――またその名だ、と、彼女はそう思った。
 ダリル。
 まるで、呪いのような言葉。
 自分の心を、体を、縛り付ける呪いの言葉。
「それで、何年かけて許してもらうつもりなんだよ?」
 灰皿に煙草をぎゅうと押し付けて、セッツァーは呆れたように言った。
「どうせあいつに吹っ掛けられてんだろ」
「……だからどうだって言うの」
「俺が肩代わりしてやるって言ってんだよ」
 ダリルはセッツァーを見た。本気で言っているのだろうか。並みの金額ではないことくらい、この男にだって分かるはずだ。
 それを、見ず知らずの……ああ、見ず知らず、では、ない、と、しても。
「あんたが好きなのは、私じゃないでしょ」
 ダリルはそう言った。
「あんたが好きな女は、とうの昔に死んだ女よ。もうどこにもいない。二度と帰ってはこないの」
 セッツァーはふいと目を細めた。
「記憶があろうがなかろうが、お前はお前だろ」
「違うわ。何も分かってないのね」
 ダリルは小さく頭を振った。
「私は一度死んで生まれ変わったの。全くの別人になったのよ。目を覚ましてから今までに起きたことだけが私の全てで、それだけが私の人生なの。そこにあんたは何一つ関わってない」
 セッツァーが何か言いかけて僅かに口を開いたけれど、黙ったままだった。
「あんたは死んだ人間との思い出だけを見てるでしょ。死んだ人間を今も想い続けてる」
「そんなことは……」
「だから探してたんじゃないの? 違うって言える?」
 ダリルは緑色の目でセッツァーを睨むように見た。
「あんたの想いは、過去から繋がってるのよ。あんたと私の間に何があったのかは知らないけど、あんたが私を好きなのは、私があんたの過去に存在しているからよ」
 でも、とダリルは続けた。
「でも、私には過去はないの。あんたは私の過去には存在しないの。今はそれでも納得できるでしょうけど、時間がたてば、きっとそのことがあんたを苦しめる。あんたを悲しませる。私はそれを側で見てなきゃならない。ああ、この人が苦しむのは私のせいだって、そう思いながら……そんなの地獄よ。拷問だわ」
「それでも、俺はお前に側にいて欲しい」
 そう言ってしまってから、セッツァーは柄にもなく直球を投げたことを後悔した。あの馬鹿な盗賊野郎に感化されたか?
「私を地獄へ繋ぎ止める気?」
「あんな店に戻るよりはマシだろ?」
「それは私が判断することよ」
 ダリルは顔を背けた。
「あんたが、そんなに私を愛してるって言うなら」
 反則なのは分かっていた。それでも、どうしてもこの責め苦から逃げ出したかった。

 きっと、今も昔も私は変わらない。この人を愛しているのだろう。

「これ以上、私を苦しめるのはやめて」

 愛しているから、側にいるのが辛かった――きっと。

 コトリ、とセッツァーがライターを側の机に置いた音がした。
 煙草を咥えたまま、彼は呆然とした目をした。
「もう、あんたの側にはいたくないの」
 それでも、ダリルにその目を直視することはできなかった。







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