暗闇の中で目を覚ました時、どうしようもなく孤独を感じることがある。
 本当は、この世界にたった一人取り残されているんじゃないか、と。
 そんな時、暖めてくれる手もなかった。
 小さな頃から、ずっと。



眠れない夜は



「どうした、リルム?」
 操舵室のソファに寝そべって本を読んでいたエドガーが、小さな人影に気づいて声をかけたのは夜半過ぎ。他のメンバーたちはすっかり寝静まった後だった。
「色男こそ、そんなところで何してるの?」
「日課だよ」
 慌しい日々の中で、こうして自分の時間を持てるのは夜だけ。
 それは、国王として暮らしている時も同じだった。
「リルムは、トイレ」
「ふぅん」
 エドガーは指を顎に当て、一瞬考えるような素振りをした。
「怖い夢でも見たかな?」
「別に」
 リルムの表情は硬いまま、そっけない返事が返ってきただけだった。
 おや? とエドガーは思う。いつも明るい表情を絶やさない少女が、珍しく塞ぎこんでいる様子。
 エドガーはきちんと座り直すと、リルムを手招きした。
「こっちへ来てごらん」
「何よ、誘ってんの? ヘンタイ色男」
 思わず笑みが零れる。一体この子は、どこでそういうことを覚えてくるんだろう?
「そうじゃないよ。たまには、ちょっと話しでもしようじゃないか」
 リルムはしばらく黙ったまま立ち尽くしていたが、エドガーがもう一度手招きすると、おとなしく歩み寄ってきた。
「ここにお座り。温かいミルクを飲むかい?」
「いらない」
「でも、よく眠れるよ?」
「眠りたくないからいいの」
 エドガーは片眉を上げた。
「どうして」
「理由なんてないもん。夜更かししたいの」
「そうかぁ、リルムも大人になりたいお年頃かな?」
 茶化してみても、リルムはにこりともしなかった。
「で、色男は夜更かししたくて起きてるの?」
「元々、あまり早くは寝付けない方なんだよ」
「ふぅん」
 リルムはしばらく何事かを考えて、
「じゃ、寝るのが嫌いなんだ」
 と結論付けた。
「嫌いなわけではないよ」
 少し笑いながら、エドガーは答えた。
「どちらかというと好きかも知れないな。ふかふかの布団に柔らかい毛布、石鹸の匂いのシーツ……どうだい、眠りたくなってきた?」
「全然」
 リルムは頭を振った。
「じゃぁ、可愛いレディには子守唄のサービスでもしようかな?」
「耳が腐るからいらない」
「はは、ひどいな」
 エドガーは苦笑し、寝酒を取ろうと立ち上がった。
 と。
「どこ行くの?」
 急に心細い声で、リルムは訊いた。
「すぐそこの戸棚。一緒に行く?」
「……うんん、いい」
 ブランデーを少しグラスに移してソファーに戻ると、リルムはじっと彼を見ていた。
「それって美味しいの?」
「まぁね」
「リルムも飲んでみたい」
 エドガーはリルムの目の前で人差し指を振って見せた。
「子供は飲んじゃいけません」
 リルムは頬を膨らませた。
「何よぉ、大人ぶって」
「ぶってるんじゃなくて、大人なの」
「ずるいよ」
 リルムはそっぽを向くと、それきり黙ってしまった。
 エドガーは向こうを向いたままのリルムの後ろ頭を見遣った。
 こんなに小さな子を戦いに駆り立てていることに、今更ながら罪悪感を覚える。
 日々の凄惨を思えば、夜が怖くても仕方のないことだった。
 この子だけじゃない。
 皆、それぞれに傷つき、疲れ、落ち込み、恐れているのだろう。


 不意に、エドガーはグラスをサイドテーブルに置いた。
「リルム?」
 後ろを向いたままの肩が小刻みに震えていることに気づいたのだ。
「どうした?」
「何でもないもん」
 鼻声で、彼女は気丈に答えた。
「何でもないのに泣いたりしないだろう」
「色男が意地悪なこと言うから」
「それは、悪かった。謝るからこっちを向いてごらん?」
 リルムは素直に向き直った。
「みんなには言わないでね」
 リルムは小声で囁いた。
「心配掛けたくないから。ジジィとか」
「やっぱり辛いかい? 家に帰る?」
「イヤ」
 リルムはますます悲しそうに頭を振った。
「帰ったら、本当に一人ぼっちだもん。そんなのイヤ」
 一人ぼっち。
 小さな子供に、一番堪える言葉。
「夜、目が覚めるとね」
 リルムはぽつりと話し始めた。
「一人ぼっちなんだってこと、思い出すの。お父さんもお母さんもいないんだって。寂しくて悲しくて、死んじゃいそうになるの」
「そうだね」
 エドガーは同意した。
「俺もそうだったな。傍に誰もいなくなってしまった頃なんかは、特に」
「キンニク男がいなくなった時?」
 そう、とエドガーは頷いた。
「そういうのって治るの?」
「う〜ん、治るのとは違うと思うけれど」
 エドガーは顎に指を当てた。
「慣れるというか……乗り越えられる、という感じかな」
 リルムはしばらくじっとエドガーの目を見ていた。
「それが大人になるってこと?」
 エドガーは感心したように頷いた。
「ああ、そうかもしれないね」
「そっかぁ……」
 リルムはしばらく足をぶらぶらさせ、自分でじっとそれを見ていた。
 が、やがて立ち上がると、「おやすみなさい」と言った。
「リルムもそれが飲めるようになる頃には、乗り越えられると思う」
「そうなるように祈ってるよ」
「エドガーも、早く眠れるといいね」
 そう言い残し、少女は部屋へ戻っていった。


「……鋭いな」
 取り残されたエドガーは、一人そう呟いた。


 夜はゆっくりと過ぎていく。
 眠れぬ夜は、特に。



-Fin-









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