「セリス」
「ん? 何?」
「あのさ……前から聞きたいと思ってたことがあるんだけど」
 マッシュは口ごもり気味にそう切り出した。



運命のコイン



 もう誰も生きてはいないと、絶望を抱いていたセリスが最初に再会した、仲間。
 マッシュは一年前と変わらず、強く逞しく、そして優しく生きていた。
 彼との再会は、セリスの心に希望を与えるのに十分な出来事だったのだ。


「何?」
 セリスは促すように、小首を傾げた。
 こんな仕草を見るようになったのは再会してから後のことで、そういう方が可愛いくていいとマッシュは思っていた。
 とは言え、修行僧のマッシュと、帝国時代には男所帯に紅一点だったセリスとの間には、仲間としての感情以上のものは生まれようもないようだったのだが。
 テントの外は風が強かったが、中は割合に暖かく、二人とも寒さは気にならなかった。
「その、さ」
 マッシュは相変わらず口ごもっていた。
 どう話していいのか、あまり纏まっていないらしい。
 纏まってから話しかければいいのに、不器用な人。と、セリスは内心思った。
「兄貴の、コイン」
「コイン?」
「親父に貰った……両表の」
「ああ」
 セリスは思い出した。セッツァーとの賭けに使ったコインのことだ。
「両表のコインだなんて、どうしてセリスが知ってたのかと思って」
「マッシュは知らなかったの?」
「……うん」
 マッシュは俯いた。
 心なしかしょんぼりした姿は、まるで特大の子供のようだ。
「あのコイン、俺が城を出て行く時に賭けに使ったんだ。どっちが……国王になるか、どっちが自由を選ぶかって」
 表が出たらお前の勝ち。裏が出たら俺の勝ち。
 兄はそう言って、コインを夜空に放った。
「そうだったの……そこまでは聞いてなかったわ」
 ただ、エドガーは。




 ティナが幻獣のような姿になって飛び去っていってしまった後、セリスはひどく不安に駆られていた。
 ティナへの後ろめたい気持ちから、彼女の行方が気になって仕方なかったのだ。
 そして、ゾゾで彼女を見つけ出した時、今度はなんとしても助けなければならないと思った。
 そうすることで贖罪になるのか分からなかったが、立ち止まっていることは恐ろしかった。


 それと、もう一つ。
 セリスの心を悩ましていたのは、レイチェルの存在だった。
 あの時、「似てるんだ」とロックは言った。似ているから助けられたのか、そうだとしたら自分はこれからどうしたらいいのか?


 そんな不安定な気持ちのまま、セリスは旅を続けていた。
 するとある日、エドガーが賭けをしようと言い出したのだ。
「賭け? ……何を賭けるつもり」
「そうだな」
 エドガーは楽しそうに指を顎に当てた。
「じゃぁ、表が出たら一日デート、とか」
「王様が、ずいぶん俗物的なことを賭けるのね」
 ふふ、とエドガーは笑った。
「手厳しいね」
 エドガーと一日くらい付き合っても問題はなかったが(どうせ買い出しか何かだろうし)、急にそんなことを言い出した彼の真意は測りかねた。
「まぁ、見ていてごらん」
 エドガーはポケットからコインを出し、空へ放り投げる。
 と。
「ちょっと待って」
 セリスはコインが地面へ辿り着く前に、取り上げた。
「これ、両表じゃない」
「おや、ばれてしまったか」
「とんだイカサマね」
 セリスはコインを何度も裏返してみた。
「珍しいコインね」
「親父に貰ったのさ」
 エドガーはそう言うと、夜空を見上げた。
「彼はこう言ったんだ。『お前が何か道を選ばねばならぬ時が来たら、このコインで決めなさい』とね」
「両表じゃ意味がないじゃない」
「そう、最初から結果は分かっているんだ。だから、何を表と賭けるか、それは自分で決めなければならない。そういうことさ」
「厳しいわね」
「父親というのは、得てしてそういうものだよ」
 セリスは黙った。もし自分の父親がこの世に存在しているなら、優しいだけの男であって欲しいと彼女は一瞬願った。
「そのコインは、過去に一度だけ使ったんだ」
「いつ?」
「どうしてもどちらかの道を決めなければならなかった時、さ」
「どっちを表に賭けたの?」
 ふむ、とエドガーは考え込み。やがて、こう呟いた。
「優しさ……かな」




「そういう意味だったのね」
 セリスは小さく息を吐いた。
 どういう意味かと問いただしても、エドガーは、その後はもう何も言わなかったのだ。
 だた、「自分で決めなければならない」という言葉はセリスの心に深く留まり、気持ちを少し楽にしたのは確かだった。
「兄貴……」
 マッシュはますます項垂れた。
「知ってたら出て行かなかった?」
「……分からない」
「自分で自由の道を決められたと思う?」
「たぶん、出来なかったと思う」
 いつも迷ってばかりだった自分。兄の背中に庇われてばかりだった。
「だから、エドガーは選んでしまったのね」
 セリスは呟いた。
 表に、国王の道を……弟の自由を賭けた少年。
 切ない子。
「優しいお兄さんね」
 セリスはそう囁くと、寝袋に包まった。
 もし、この世に自分の兄というものが存在しているとしたら、彼のように、ただ優しいだけではない男の方がいいと思いながら。


 もうすぐ、サウスフィガロだ。






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