親父が死んで、あいつが城を出て行ってから、一年。
俺は、どうしようもなく孤独な夜を持て余し、一人闘っていた。
日の光を待ち続けるだけの時間は長かった。
窓辺が薄く明るさを帯びてくるのが、虚しくて、それでも安心できた。
二つの想い
あれからたった一度だけ、マッシュから手紙が来た。
子供の頃世話になっていたサウスフィガロの格闘家の内弟子となり、モンク僧の道を目指すと書いてあった。
あの小柄なマッシュが格闘家になると言おうなどとは、俺には俄かに信じ難いことだったけれど。
あいつがちゃんと自分の道を見出すことができたことを安堵した。
そしてそれと共に、俺はどこか淡い羨望を覚えた。
そんなことを自分で認めるのは、あまりに寂しかったけれど。
あれから、幾晩も眠れない夜を過ごした。
***
「エドガー様」
神官長に呼ばれたとき、エドガーはかなりぼんやりしていて、俄かには気づかなかった。
「エドガー様、呼んでおりますよ」
「……あ、え? 何だ、ばあや」
「どうされました、考え事など」
「ちょっと、国のことを考えていた」
彼は青い瞳に笑みを戻して、そう答えた。
「まったく、あなたという人は」
神官長は溜め息を惜しまなかった。
「少し休まれてはどうですか?」
「え?」
「即位されてから働き詰めでしょう。気分転換して、元気を取り戻していらっしゃいまし。そんな顔をしていては、国民も鬱々としてくるというものです」
エドガーは困惑気味に、自分の両頬に手を当てた。
「そんなに酷いか?」
神官長は、もう一度ため息をついた。
幼い頃から、弱音を吐こうとしないこの子にどれだけヤキモキしたことか。
「困ったな、レディたちに嫌われてしまう」
エドガーはおどけたように肩を竦めた。
「そう思うなら、少しお休みなさい」
神官長はにこりともせずにそう言った。
急に休みなどもらっても、エドガーは何をしたらいいのかわからなかった。
昼間は忙しく立ち働いて、だから陽のあるうちは孤独と向き合わなくて済んでいたのに。
エドガーは豪華なベッドにごろんと寝転んでみた。
じわじわと、体を蝕んでゆく何か。
とても耐えられない。
起き上がって、窓の外を眺めた。
どこまで行っても、砂、砂、砂。
砂と、空。それ以外何も見えないこの場所。
眩しくなって、もう一度寝転んだ。薄暗い天井の色が目に優しい。
「俺は、太陽は好きだ」
昔、弟が無邪気に言った言葉が今更心に刺さり、傷を作ってゆく気がした。
「暑くて死にそうなくらい暑い夏が好きだ」
「物好きだな」
「そうかなぁ」
マッシュは後ろ頭を掻いた。
「兄貴は、夏は嫌いなのか?」
「嫌いなわけでは……」
夏は、嫌いだ。母を奪った夏。
「空が高くて、どこまでも飛んでいけそうだな!」
弟は両手を伸ばし、本当に飛んでいってしまいそうだった。
「俺、夏は好きだ!」
季節は巡る。また、暑い暑いあの夏が来る。
あいつはいない。父もいない。母も―――
「―――あ」
気付くと、ひどく熱くて、喉がカラカラに渇いていた。
「起こしましたか?」
神官長が静かに問うた。
どうやら、いつの間にか眠っていたらしかった。
窓の外はもう暗くなっていて、一体どれくらい眠っていたのか自分でもわからなかった。
額に手を当てようとして、冷たいタオルが乗せられているのに気づく。
「あれ?」
「酷い熱なんですよ」
神官長が眉間にしわを寄せた。
「また、お腹を出して寝ていたでしょう」
「お仕置き口調だね、ばあや」
「これでも心配しているんです」
彼女はベッドサイドの椅子を引いて、座った。
「ここのところ、ずっと顔色が良くなかったから」
子供にするように、そっと金糸を撫でる。
「大臣に掛け合って、少しお休みを頂けるようにと」
彼を見る目は、酷く哀しげだった。
「エドガー」
ごく小さい頃、彼女は兄弟を呼び捨てにしていた。
それと同じ響きで彼女は呼んだ。あれからもう、十年以上の月日が流れたのに。
「辛いでしょう」
「別に」
「どうして、弟君を継承者から外したのです」
エドガーは黙っていた。
「一緒にいれば、辛さも半減したでしょうに」
「俺は」
エドガーは半ば朦朧とした頭で、もし傍にマッシュがいたらどうなっていたのか、想像した。
楽だったろうか?
「あいつが、自由を欲しがったから。コインで……」
なんだか支離滅裂な言葉しか出てこない。情けなくて口を閉じた。
「コイン、ですか?」
神官長は手を伸ばし、額から温んだタオルを取った。
「賭けを、したんだ」
寝ぼけたように呟いた。
小さな金のコイン。月夜に浮かび、キラキラと輝く星のような。
「お前の勝ちだ」
エドガーは石畳の上に落ちたコインを顎で示した。
「……兄貴」
「選べよ。お前の好きな道を、さ」
「俺……こんな……」
マッシュは言葉が出ないようだった。
「恨みっこなし、って言っただろ。俺はお前がどの道を選んでも恨まない」
微笑って見せる。
「俺は……」
「自由、だろ?」
マッシュは顔を上げた。
「兄貴!」
「選べよ、自由を。それでいいんだよ」
弟は、泣き出しそうな目をした。
酷く喉が渇いて、エドガーは瞼を上げた。
部屋は真っ暗で、相変わらず体が熱くて気だるかった。
のろのろと体を起こし、神官長が枕元に置いてくれたらしかった水差しからグラスに水を注ぎ、少し飲んでみた。しかし、それくらいでは渇きは癒えなかった。
力が続かず、エドガーはくたりと、もう一度ベッドに身を沈めた。
コチコチと、時計が時を刻む音がやけに大きく響くような気がした。酷くうつろな気持ちになって、寝返りを打つ。
誰も、いない。
しんと静まり返った夜が刺さるように痛い。
枕に顔を埋め、耐えてみようと努力した。
こんな風なのは、熱のせいだと自分で自分に言い聞かせてみたけれど。
いつまで、続くのだろう。
いつまで、耐えなければならないのだろう。
永遠、という言葉が空恐ろしい響きに思えた。
***
熱が下がった後も、依然として彼の休みは続いていた。
あまりに時間を持て余すので、城を抜け出し、チョコボに乗ってサウスフィガロへ行ってみた。
何とはなしに、マッシュが手紙で書いてきた「師匠の家」を探してみる。
彼が城を出て行くとき、もうフィガロへは帰らないと言ったのを覚えている。
「そんなの不公平だし、もうここへは戻らない」
何が不公平なのか良くわからなかったけれど、自由を手にしたマッシュがここへ帰ってきて、惑いが生じては不憫だと承諾した――今となっては、自分の首を絞めたようなものだったが。
そう、彼は戻らないとは言ったが、会いに来ないで欲しいとは言わなかった。
たぶん、仕事が忙しい上に国王の身分となった兄が、そう簡単に城を抜け出すことはできないと思っていたのだろう、会いに来ないでくれとは手紙にも書いてはいなかったのだ。
もし、何かのタイミングでちらっと顔を合わすことができたら。そんなことを思ってエドガーはその家を探した。
折りしも、マッシュは家の外で水を汲んでいた。
その背中を見つけたとき、エドガーの胸に言いようのない郷愁が浮かんだ。
唯一無二の弟――!
「マッ……」
呼びかけようとしたその時。裏手の方からもう一人、黒っぽい髪の若い男が現れた。
途端に顔を上げ、マッシュはその男を見て嬉しそうに笑った。
話し声はここまで届かなかったが、楽しそうに笑っている様子だけはよく見えた。
やがて、その男は笑い声を上げ、マッシュの額を軽く小突いた。
瞬間、エドガーは二人に背を向けた。
あれは、自分がよく弟にしていた仕草だった。マッシュがふざけて何か馬鹿げたことを言って、コツリと小突く。二人で散々笑い合って。
もう、マッシュはいない。自分の生活の中から、彼は永遠に消え去ったのだ。
まざまざと、そのことが事実となって攻め入ってくるのを感じた。
彼はもう、自分の場所を他に見つけてしまったのだ。
暗闇の中で膝を抱えたまま、震えている自分とは違うのだ。
エドガーは二度と振り向かず、その場を後にした。

「あ〜にきっ!」
後ろからがばっと羽交い絞めに――たとえ本人にその気が無かったとしても――され、エドガーは唐突に夢想から覚めた。
「何考え事してんだ?」
「げほっ……子供の頃のことを、な」
少しむせながら、兄は答えた。
「色々と思い出していたんだ」
「ま〜た俺がチビだったこと、からかうんだろ」
兄はふふ、と笑っただけだった。
「子供の頃って言えば」
マッシュはふと窓の外を見た。
どこまで行っても、砂、砂、砂。
砂と、空。それ以外何も見えないこの場所。
「兄貴、ダンカン師匠の家に来たことがあっただろ」
「いや? 俺は習いに行ってなかったんだぞ」
「そうじゃなくて」
弟は振り向いた。そっくりな青い目がぶつかり合う。
「俺がここを出て行って……一年くらい後だったかな。見かけたんだ、後姿だけだったけど」
エドガーは一瞬目を見張った。
やっぱ心配かけてたんだよな〜、と、まるで見当違いなことを言いながら、マッシュは後ろ頭を掻いた。
そうじゃないんだ、と、言ったら弟はどんな顔をするだろう?
本当は、寂しくてたまらなかったのは、会いたくてたまらなかったのは俺のほうだったのだ、と。
「せっかく来たなら声かけてくれればよかったのに、って思ったんだぜ」
「ああ、そうだな。そうすればよかった」
エドガーは少し笑うと、椅子から立ち上がって伸びをした。弟に背を向け、悪戯っぽく言う。
「お前が兄弟子と仲良くしていて、癪に触ったからやめたんだ」
「はぁ?」
素っ頓狂な声で驚く弟に、彼は今度は屈託ない笑みを浮かべた。そのまま振り向けば、目を丸くしているマッシュと向かい合わせになる。
「お前、もうここには戻らないとか言ってたな」
「えっ? あ、っとそれはまぁ……言葉のあやというか」
気まずそうな顔になるマッシュ。
「……本当は、帰りたくてたまらなかったんだけどさ」
***
遠い空の下で、双子は同じ想いを抱いて生きていた。
会いたい。いつか、笑顔で再会したいと。
だから、その日までは頑張ろう。
辛いことがあっても、弱音は吐かずに。
――いつかこの手で、支えられるようになる日までは。
-Fin-
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