守るべきもの
「こんなにたくさん! 重かったでしょう?」
「はは、誰に言ってるんだ、ティナ」
マッシュが朗らかに笑うと「でも」とか「だって」とか口ごもりながら、彼女は困った顔をした。
「悪いわ」
「悪くない悪くない。俺たちは仲間だろ?」
屈託なく笑う大柄な青年に、ティナも思わず笑顔になる。
「ありがとう、マッシュ」
心から、そう言った。
彼が運んできた大きな袋には、生活に必要な品物が入っていた。
食料、飲料水――井戸も使えたが、それだけでは足りない分――、赤ん坊の粉ミルク、石鹸とか歯磨き粉とか。
大きな町から遠いモブリズは、それでなくても人手が足りず、今までにも心配した仲間たちが何度も顔を出してくれていた。
あの戦いの後、ロックなど月に一度は村を訪れていたが、子供が生まれてからはその回数もぐっと減ってしまっていた。
荷物運びなら飛空艇持ちのセッツァーが適任と言えなくもなかったが、そして実際、人の力で運ぶのに苦労しそうなものは彼が運んでくれていたが、心持ち気分屋の彼は、日常的に必要なものを配達する係には些か向かないようだった。
子供が生まれ、頻繁には村へ行かれそうになくなったロックが心配したが、村は大丈夫だとティナは言い張った。
「みんなの手を煩わせることは出来ないわ」
ティナは気丈にそう言い放った。
しかし、消耗品の買出しは事実困難であり、それは誰にでも容易に想定できることだった。
「でも、本当に重かったんじゃない?」
大きな袋は彼女一人では持ち上げられないほど重かった。これをサウスフィガロから持ってきたというのだから、さぞ苦労したのではないかと心配だったのだ。
マッシュは汗ばんだ顔を手ぬぐいで拭いながら、
「そうでもないぜ? 俺が『熊みたい』に頑丈なのはよく知ってるだろ?」
その言葉に、ティナははっとして口元を手で押さえる。マッシュは豪快に笑い声を立てた。
「もしかして、まだ怒ってる……?」
「あはは、まさか」
マッシュは首を横に振った。
「うわ〜っ! でっかい荷物だ!」
気付いた数人の子供たちが駆け寄ってきた。
「お菓子ある?」
「ああ、あるぜ」
ティナが脇で「こら! あなたたち」と叱るのを笑いながら、マッシュは荷物をごそごそと探る。
「ほら、みんなにお土産だ」
「やった――っ!」
「ねぇねぇ」
小さな女の子が一人、おずおずとマッシュの服の裾を引っ張った。
「おじさんは、力持ち?」
「お、おじ……?」
「こら、『お兄さん』でしょ?」
慌ててティナが嗜めた。しかし、少女は聞いていないかのようにマッシュから目を離さない。
「あはは、俺ももうそういう年だもんな〜、まいったまいった」
マッシュは後ろ頭を掻くと、改めて「なんだ?」と尋ねた。
「おじさん、力持ち?」
「お兄さん!」
「いいって、ティナ」
マッシュは相変わらず笑いながら、
「力持ちだけど、どうして?」
「あのね、お父さんも力持ちだったの」
「……そっか」
マッシュは大きな手で小さな頭を撫でてやった。
「あのね」
少女は更に何かを言い募ろうとして、上手く言えそうにないという風に頭を振って、諦めた。
戦争は終わらない。
表面的には終わったように見えて、しかし人々の心の奥底にずっと存在し続けるんだ。
根を生やしたように、じわりじわりと。
|
兄の言葉を思い出した。
終わったように見えて、終わっていない。この子達の親は二度と戻らないのだ。
「ほらっ!」
マッシュは少女の脇に手を差し込むと、ふわりと抱き上げた。そのまま頭の上まで持ち上げてやる。
少女はびっくりして目を見開いた。
「怖いか?」
「うんん、全然!」
「あ〜っ! いいな〜!」
「俺も俺も! 俺も高い高いして!」
「おじさん肩車して〜!」
あっという間に子供に取り囲まれ、しかし嫌な顔一つせず応じてやるマッシュ。
「みんなダメよ。マッシュは長旅で疲れてるの。お休みしないといけないのよ」
「「え〜っ」」
「これっくらい大丈夫だって、ティナ」
笑いながら、傍にいた子供を片手に一人ずつ抱え、肩に上げてやる。子供たちの歓声が木霊した。
「でも……」
「『でも』はなし。な、みんな?」
「「うん!」」
子供たちはあっという間に懐いて、腕にぶら下がったり背中に飛びついたりしながら、もう彼の傍を離れそうになかった。
いい人なんだなぁ、と、ティナは今更ながらにしみじみとそう思うのだった。
***
「ごめんね、マッシュ。疲れたでしょ?」
遊び疲れて居間で昼寝を始めてしまった子供たちに毛布を掛けながら、ティナは気遣わしげに訊いた。
「いや? 楽しかったぜ。こんなに遊んだのは久しぶりだな」
事も無げに、マッシュは答えた。
「私がもっと遊んであげられるといいんだけど……」
ティナは俯いた。ぶら下げたり持ち上げたりは、線の細い彼女には土台無理な話だった。
ティナにも幸せになる権利があると思うのよ。
それなのに、あんな世界の外れみたいな村で、孤児の世話をして暮らしていくなんて……
|
子供を抱きながら、そう言って俯いたセリスの横顔を思い出した。
確かにそうかもしれないけど、誰かがやらなければならないことだと言った、ロックの表情も。
「誰かがやるにしても、ティナがすることはないわ」
「そんな言い方ってひどいと思うぜ」
「喧嘩するなって、お前らは――」
「お茶を飲む?」
気付くと、目の前に立ったティナが顔を覗き込んでいた。
「一休みして」
「じゃぁ、貰おうかな」
マッシュも微笑んだ。
少し休んでから、ディーンが「屋根が漏る」と言って修理しようとするのを手伝い、カタリーナが「物干し竿が壊れてしまって」と言うのを聞いて新しいものを作り、夕食の用意をするティナと一緒に台所に入った。
その度にティナが「悪いから」とか「もう十分だから」とか言って止めさせようとしたが、マッシュは笑い飛ばしてしまった。
「これくらいのこと、朝飯前だぜ」
「すみません」
カタリーナは新しくなった物干し竿を大事そうに抱え、お辞儀した。
「子供たちの洗濯物、一気に干せなくて困ってたんです。ディーンが作ってくれるはずだったんですけど、やらなきゃならないことが山ほどあって、後回しに」
「そうだよなぁ」
大人のいないモブリズでは、唯一、一人前の仕事が出来るディーンの仕事があまりに多かったし、それはティナとカタリーナも同じことだった。
「誰か移住してきてもらったらいいんじゃないか?」
「そんな物好きいないですよ」
ディーンが苦笑した。
「じゃぁ、こっちから……」
移住すればいいんじゃないか。言おうとしてマッシュは口を閉じた。そんなこと、したがる子供がいるわけもない。
「そう簡単にはいかないの」
ジャガイモの皮を剥きながら、ティナは寂しげに微笑んだ。
「みんなにとって、この村は大切な故郷なの。だから、守ってあげたいのよ」
「そうだよな……ごめん」
マッシュは自分が口にした言葉の思いやりのなさに愕然として、しゅんと俯いてしまった。
「謝ることなんてないんですよ、本当ならそうすべきなのはわかってるんです、みんな」
カタリーナは微笑んだ。
「ここで暮らさせてもらって、みなさんにご迷惑を掛けて……我が侭だなって思ってるんです」
彼女の腕の中の赤ん坊が僅かにぐずり、カタリーナは体を揺すってやった。
「でも、この子にとってもこの村が故郷になるのが、嬉しいんです。そうやって、ずっと続いていったらいいなって……」
「カタリーナ」
ディーンが、すすり泣く彼女の頭を抱き寄せた。
「もう、何も失くしたくないの」
ティナがハンカチを出してやると、カタリーナは恥ずかしそうに笑った。
「ダメね、こんな風に泣いたら。もうお母さんなのに」
ティナは黙ったまま頭を振り、優しく微笑んだだけだった。
その様子を見ながら、ティナが文字通りこの村の支えとなっているのだということを、マッシュは改めて実感した。
絶対に、必要な存在なのだ。
***
どうしても泊まっていってくれという子供たちのリクエストに答え、寝るまでの間に、彼は修行時代の話をして聞かせた。
子供たちは大はしゃぎで、とても寝付きそうも無かったが、夜も更けてくると、やがて一人、また一人と夢の世界へ旅立っていった。
全員眠ってしまうと、マッシュは風にでも当たろうと家の外へ出た。
ティナが夜空を見上げて立っていた。
「どうした?」
なんとなく、小声で尋ねる。
「星がとっても綺麗」
ティナも囁き声で答えた。
マッシュも見上げてみた。フィガロの城で過ごした子供時代、城を出た後、修行の間、そして、あの戦いの時も。辛いことがあったり、悲しい気持ちになった時、空を見上げて心を落ち着かせたものだった。
コルツ山の頂上で見た星空にも劣らないほど、モブリズの空は美しかった。
「この村にはね、綺麗なものがたくさんあるの」
ティナは相変わらず囁き声で、誰に聞かせるともなく呟いた。
「川の水も綺麗だし、お花も咲くでしょう? 子供たちの笑顔はキラキラ輝いてるし」
「そうだな」
マッシュも賛同した。
「雨上がりには虹が上がるし……夜空も綺麗だけど、朝日もとても綺麗なのよ」
「じゃぁ、明日が楽しみだ」
不意に、ティナが振り向いて微笑んだ。
風が吹き、彼女の長い髪を弄って過ぎていった。
***
「もう行っちゃうの?」
唇を尖らせた少年の頭を少し乱暴に撫でる。
「そろそろ修行に戻らないとな」
「また来る?」
「ああ、また来るさ」
「本当?」
子供たちは顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
「ねぇねぇ、おじさん」
少女が一人、不意にとんでもないことを言い出した。
「ママと結婚して、私たちのパパになって!」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声を出したマッシュに、子供たちが笑い声を上げた。
それと同時に、ティナが玄関先へ出てきた。
「ずいぶん賑やかね」
子供たちはくすくす笑いながら、逃げるように家の中へ入っていく。
「ちょっとみんな、お別れをちゃんと言ったの?」
「言ったよぉ!」
生返事のまま、階段を駆け降りていくのが見えた。
「まったく、しょうがないんだから。ごめんね、マッシュ」
呆けたままだったマッシュが我に返り、「え?」と訊く。
「大変だったでしょう? もう懲り懲りなんじゃない?」
「まさか。これからもちょくちょく顔を出すよ。必要なものがあったら知らせてくれよ」
「うん、ありがとう」
ティナは笑った。
マッシュも笑った。
「じゃ、そろそろ行くな」
「またね」
マッシュは朝日に向かって歩き始めた。赤く燃える太陽は、始まったばかりの今日という日を朗らかに祝福していた。
――確かに綺麗だな。
そんなことを思った時、背中の方からたくさんの可愛い声が上がった。
「おじさん、またね〜!」
紅葉のような手を振りながら、子供たちはキラキラと笑った。
守らなければならない、と。
例え世界の外れのような村でも、きっとティナは幸せに違いないと、マッシュは思った。
「またな!」
大きな手を振ってやると、子供たちはぴょんぴょんと飛び跳ねてそれに答えた。
-Fin-
|