彼を見上げた瞬間、感じた閃き。
 それは危険な光を発し、私は本能からそれに触れてはならないと思った。
 傷つくのはきっと自分だ、と。

 そう思ったのに、結局は触れてしまった。

 始まりようのない恋に、終わりさえ見つからずに。


 ――傷つくのは、いつも自分なのに。




あなたに光を




 もしかしたら、このまま隣に居ることを許されるのではないか……そんな埒もないことを考えてしまうのは、彼の瞳のせいだった。
 彼の根底に「レイチェル」という存在があることは、なんとなく見抜いていた。その人があんなことになっていることまでは予測できなかったにしても、そういう存在があることは感じ取っていた――だからあの時、酷くうろたえずには済んだ……と思う。
 そういう大事な存在を心に留めながら、彼は屈託ない目で笑いかけてくる。時々切ない目で私を見る。
 その一つ一つの仕草が、私の心を少しずつ抉り、段々深い傷にしていくのだった。
 分かっていたのに。
 そうなることは分かっていたのに。
 どうして止まることができなかったのだろう? どうしてただの仲間として付き合う道を選べなかったのだろう?
 どうして、それでも隣に並ぼうとしてしまうのだろう?
 私は、馬鹿だ。


 帝国へ向かうことになった時、ロックは「付いていく」と言った。コーリンゲンでレイチェルの存在を知った後だっただけに、俄かには信じがたい言葉だった。
 どうしてと、尋ねないではいられなかった。


 ――このまま隣に在ることを許されるのではないか。
 また、埒もない考えが胸を掠め、私は頭を振ってそれを追い出した。
 彼は責任を感じているだけだ。サウスフィガロの地下牢から自分を連れ出したことへの責任感。
 きっと、それだけだ。



***



「浮かねぇ顔だな」
 飛空艇ブラックジャックのオーナー、セッツァーがそう言った。
 甲板で風に当たりながら、セリスは問いかけには答えず、じっと黙っていた。
 あれから、オペラ座でマリアの身代わりとなり、このセッツァーに浚われる役を演じた。作戦は上手くいき、今はこうして飛空艇で帝国へ向かっていた。

 不安に駆られてつい、あの人の代わりなのかと問うた。やはり答えは返ってこなかったけれど。

「あんた、元は帝国の兵士だったって言うじゃねぇか」
「将軍だった……今はもう、昔のことだわ」
「ふぅん」
 セッツァーはあまり興味のないような、曖昧な相槌を打った。
「ま、俺にはどっちだって関係ねぇけどよ」
 暗い海の向こうに、さらに暗黒の陸地が姿を見せる。時折空に向かって光が突き刺さり、セリスは思わず自分の腕を抱いた。
 ――怖い。
 何が怖いのかは良く分からなかった。たぶん、自分が犯してきた罪の残滓が染み込んだ大陸だからかもしれなかった。
 そして、それとは別に、何か嫌な予感もした。

 彼の大切なものを奪ったのは、廻り廻れば自分なのだ。

「昔のことだって言うんだから――」
 セッツァーは煙草を燻らせながら、舵を切った。船体は大きく傾き、真っ直ぐ忌地へ向かう。
「――そう怯えることもねぇさ」
「怯えてなんかいないわ」
 セリスは無感動な声でそう言った。
 セッツァーは取り付く島もないと肩を竦めた。






 あれから、一年。

 シドが死んでしまった。
 穏やかで虚しい日々がずっと続くと思っていたのに。
 優しくて残酷な日々が、ずっと続くと……。

 穏やかで、虚しい日々。

 セリスはロックを思い出していた。
 結局、何も言えないまま終わってしまった。
 もし伝えることが出来ていたら、何か変わっていたのだろうか?
 彼女が死んでしまった後、ずっと彼を支え続けていた想い。その想いを自分の言葉で覆してしまえたのだろうか?

 ……そんなこと、したかったのだろうか、私は?

 きっと答えは否。
 自分には、そこまで踏み込む勇気はなかったと思う。
 彼の人生の全てだった「生き返らせたい」という想いを、諦めさせ、忘れさせるだけの責任は持てなかっただろう。
 私は狡かったのだ。全てを彼のせいにして、彼の瞳のせいにして、結局は彼の人生を背負うだけの力を持ち合わせていないことを、認めたくなかっただけなのだ。
 そんな私に、彼を想うだけの資格などあるはずもなかったのだ。

 優しくて、残酷な日々。

 どこかで安堵している自分がいた。
 全てが終わったと諦観したような気になって、そのまま海へ身を投げた。


 ――でも、まだ何も終わってはいなかったのだ。



***



「セリス」
 階段を上ってくる金褐色の頭が見えた。
「ロック……」
 セリスは、不安が口から飛び出しそうなほど、体中に鳴り響いているのを感じていた。

 自分がどちらの結果を望んでいるのか、もう分からなかった。彼女が生き返れば、彼は彼女を選ぶのだろう。しかし、彼女が生き返らなければ……?
 それなのに、彼女が生き返らないという結末を願うことはどうしてもできなかった。そんな風に、彼の想いを終わらせたくはなかった。

 あまりに気が張って、たぶん蒼褪めた顔をしていたのだろう。
「大丈夫」
 ロックは不意に優しく微笑った。セリスは驚いたように彼を見つめる。
「レイチェルが、俺の心に光をくれた。もう……大丈夫だ」
 光を?
 セリスの言葉は声にはならず、小さく息を吐いただけで終わった。
 しかし、ロックはまるで聞こえてでもいたかのように、大きく強く、頷いて見せた。
 もう、大丈夫――と。
「行こう! 俺たちには、やらなければならないことがある」
 そうだ。
 この世界が平和を取り戻すために、私たちは行かなければならないのだ、と。
 セリスも強く頷いた。
 その瞳には、初めて柔らかな笑みが浮かんでいた。

 いつか世界が平和を取り戻したら、その時はきっと――



-Fin-









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